株式・先物 副業相場師日記

サラリーマンを辞める

商品先物取引を始めて4年くらいたっていたのではないかと思う。お金をためながら相場とサラリーマンの二足の草鞋をはいていたが、当時はサラリーマンがつまらなかった。(今の仕事は面白い)勤めが嫌だったので、三年ちょうど働いて辞めることにした。当時、マーケットからお金をとってくることは簡単であったので、年利40%~なら、これくらい資金量があれば生活もできるし、貯金もできる、ということを計算し、その通りにすることにした。子供も生まれており、妻は反対したが、どうにか押し切って納得してもらった。

プロ相場師になった、ということがうれしくて、林輝太郎氏にお礼の電話を入れた。当然、向こうは全然私のことは知らない。しかし、先生の著書を読んだおかげで、鞘取りで生活ができるようになった、ということ、小豆の相場について話をするなど、しばらく先生と電話で話をした。電話の向こうの声は優しそうな普通のおじいさん、といった風であったことを覚えている。

そういえば、プロになってから、一度取引をしていた商品先物取引員主催により、羽根秀樹氏の鞘取りセミナーに参加をしたこともある。これも、セミナー終了後、羽根氏にお礼を述べ、少し話をしたことを記憶している。当時はまだ三十にもならなかったので、こんな年齢でプロしているの?ということを驚きながら質問された。正直、プロの相場師というのはかなりヒマなのである。そのため、若さがもったいない、ということを言いたかったのではないか、と今になって思う。

当時は、プロの相場師である、自分の力でマーケットからお金を稼いでいる、社会とかかわらずともやっていける、ということに対して誇りのようなものをもっていたけれど、あれから十年以上経ち、今はまたものの見方が変わってしまった。

社会に貢献している、という感覚や、今までになかったものなどを社会に提案して喜ばれる、役に立っている、多くの人に感謝される、ということの方が誇らしく感じるようになった。

「幸福とは、愛されること、ほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされること。仕事に取り組むことで、先の4つのうち3つをかなえることができる。」

上の言葉は誰から聞いたのか忘れてしまったが、本当にその通りだと思う。昔の私なら、きれいごとのように感じたかもしれないが、社会で多くの人と一緒に仕事をするようになり、決してきれいごとではなく、現実の話だと感じるようになった。

おそらく、羽根氏も若い私に対してそのような気持ちを抱き、やさしく注意喚起をしてくれたのではないかと今、思う。

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